全身麻酔薬(General Anesthetics)
全身麻酔薬は中枢神経系に働き、以下の3つの作用を引き起こす。
(1) 鎮静(意識消失)、(2)筋弛緩(不動化)、(3)鎮痛、これらに加えて、自律神経反射の消失も重要である。
全身麻酔薬は吸入麻酔薬と静脈麻酔薬に分類されるが、現在最もよく用いられる全身麻酔薬は静脈麻酔薬のプロポフォール(propofol)である。プロポフォールは意識喪失効果のみで、筋弛緩と鎮痛効果はほとんど得られない。したがって、短時間作用型の静脈麻酔薬、筋弛緩薬、麻薬性鎮痛薬であるプロポフォール、ロクロニウム(rocuronium)、フェンタニル(fentanil)(またはレミフェンタニル(remifentanil))を使用するバランス麻酔(balanced anesthesia)が、現在の主流である。吸入麻酔を用いない全身麻酔を全静脈麻酔(TIVA:total intravenous anaesthesia)と呼び、プロポフォールの出現後、急速に広まった。吸入薬としてはセボフルラン(sevoflurane)が良く用いられる。
麻酔前投薬は、全身麻酔の導入、維持を円滑にし、手術の時の有害反射を予防する目的で麻酔をかける前に投与する。 ①鎮静や不安の除去に 鎮静薬を、②疼痛閾値の上昇に鎮痛薬を、③気道分泌の抑制に抗コリン薬を、④迷走神経反射の抑制に 抗コリン薬を、⑤胃酸分泌の抑制 H2ブロッカーを用いる。
A、吸入麻酔薬(Inhalational anesthetics)
肺から吸収・排泄が速く、麻酔の深度調節が容易であるが、装置が必要である。
歴史
1842年アメリカのLongがエーテルを初めて首の腫瘍摘出に使用。
1844年とWellsが笑気を抜歯に使用。1846年Mortonがエーテルを抜歯に利用。
1847年イギリスのSimpsonはクロロホルムを無痛分娩に使用。
1956年 ハロタン(Halothane)が新しい吸入麻酔薬として登場した。
望ましい吸入麻酔薬の条件として、①室温で容易に気化する、 ②麻酔作用が強力で低濃度で使用できる、③安全域が広い 、④血液溶解度が低く、導入・覚醒が速やかである、 ⑤生体内代謝率が低い、⑥麻酔作用が可逆的で残存効果がない、⑦適度な筋弛緩作用を有する、⑧有害な自律神経反射を抑制する、⑨気管支刺激症状がなく、気管支拡張作用を有する、⑩呼吸抑制、循環抑制作用が少ない 、⑪不整脈誘発作用が少ない 、⑫臓器毒性が少ない、などが挙げられる。
1、吸入麻酔薬の強さ
麻酔薬の強さは、最小肺胞濃度(minimum alveolar concentration、MAC)により定量的に示される。MACは、皮膚侵害刺激に対する反応が、投与された患者の50%に見られなくなる場合の吸入麻酔薬の肺胞濃度である。MACが小さいほど吸入麻酔薬の作用が強い。
2、血液への溶解度
血液/ガス分配係数(blood/gas partition coefficient)は、平衡状態に達した吸入麻酔薬の濃度に対する血液中の吸入麻酔薬の濃度の比であり、吸入麻酔薬の導入と麻酔からの回復の指標となる。例えば、血液/ガス分配係数が小さいnitrous oxideは、吸入麻酔薬の導入と麻酔からの回復が速い。
1)エーテル(Ether)
エーテルは、引火性であり、導入と覚醒に時間がかかり、現在では用いられないが、Guedelの麻酔深度の記載は有用である。
エーテル麻酔の深度 | 状態 |
---|---|
第I期(痛覚消失期) | 意識は不完全ながら保たれる。酩酊様状態、痛覚は弱くなる。ハロタンはこの時期は認めにくい。 |
第II期(興奮状態) | 意識はなくなる。高位中枢からの抑制が除かれるので、興奮状態となる。 |
第III期(外科的手術期) | 延髄の呼吸・循環中枢を除き、全般的に抑制される。 |
第1相 | 筋肉の弛緩、眼振、呼吸は確保 |
第2相 | 筋肉の弛緩、眼球の固定、手術によい時期である。 |
第3相 | 著しく筋肉の弛緩、瞳孔散大 |
第4相 | 呼吸が弱くなる、血圧が低下 |
第IV期 | 延髄の麻痺、あらゆる反射の消失 |
2)笑気(nitrous oxide、N2O)
笑気は、無色無臭の非引火性ガスで、水に溶ける。鎮痛作用は強いが、麻酔作用は弱いので、単独では使用しない。呼吸抑制はなく、また循環器系に対してもほとんど作用はない。笑気吸入中止後、すぐに空気を吸入させると、拡散速度の速い笑気が、肺胞内に拡散し、肺胞内酸素分圧を低下させ、低酸素血症を引き起こすので、数分間酸素吸入をする。骨髄抑制作用があり、貧血や白血球減少を引き起こす可能性がある。
3)ハロタン(halothane)
ハロタンは、引火性のない揮発性麻酔薬である。麻酔作用はかなり強い。鎮痛、筋弛緩作用は弱いので、笑気や筋弛緩薬を併用する。呼吸中枢の抑制作用があるので、呼吸管理が必要である。気管支拡張作用があるので、喘息や肺気腫にも使用可能である。心筋抑制作用と血管拡張作用があるので、血圧の低下をきたしやすい。心筋伝導系のアドレナリン感受性を高めるので、不整脈を起こしやすい。子宮筋の弛緩作用があり、弛緩性出血をおこす場合がある。ときには、肝機能障害や悪性高体温症を引き起こすことがある。歴史的には有名な薬であるが、肝障害のため、現在では用いられなくなった。
4)イソフルラン(isoflurane)
心筋抑制がほとんどない。体内で代謝されないので肝障害が少ない。ハロタンより導入、覚醒が速い。脳血流の増加作用あり。用量依存性の呼吸抑制作用あり。不整脈が少ない。気管支刺激作用あり。
5)セボフルラン(sevoflurane)
我が国で最も多く使用されている。導入と覚醒が速い。用量依存性の呼吸抑制作用あり。強い鎮痛作用ある。CO2吸着剤のソーダライムやバラライムにより分解され、腎毒性のあるcompound Aが生じる。
6) デスフルラン(desflurane)
2011年から使用可能となった、本邦で最も新しい吸入麻酔薬。気道刺激性が強く、全身麻酔の維持にのみ使用。沸点が22.8度と他の揮発性吸入麻酔薬と比較して低い。手術室の室温がdesfluraneの沸点以上になる可能性があるため、加熱装置の附属する気化器が必要となる。血液/ガス分配係数は0.45と小さく、覚醒が速やかである。MACは6.6と揮発性麻酔薬の中では最も高く、医療経済的観点からは欠点といえる。
3、吸入麻酔薬の性質まとめ
| MAC | 血液/ガス分配係数 | 沸点 | 麻酔作用 | 鎮痛作用 | 筋弛緩作用 | 導入・覚醒 | 代謝 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ハロタン(halothane) | 0.75 | 2.54 | 50.2 | +++ | + | + | fast | 20 |
イソフルラン(isoflurane) | 1.15 | 1.4 | 48.5 | +++ | ++ | +++ | fast | 0.17 |
セボフルラン(sevoflurane) | 1.8 | 0.65 | 58.5 | +++ | ++ | +++ | very fast | 3 |
デスフルラン(desflurane) | 6.6 | 0.45 | 22.8 | +++ | ++ | +++ | very fast | 0.02 |
エーテル | 1.9 | 15 | 35 | +++ | +++ | ++++ | slow | - |
笑気(nitrous oxide) | 105 | 0.47 | - | + | ++ | - | very fast | 0 |
B.静脈麻酔薬 (Intravenous anesthetics)
静脈麻酔薬は、脳に達すると20秒ほどで無意識になり、興奮期が出にくい。再分布より、脳内濃度は減少し、効果がなくなる。
1、バルビツール系(barbiturate)静脈麻酔薬
超短時間作用のチオペンタール(thiopental)やサイアミラール(thiamylal)が用いられる。呼吸抑制と循環抑制がある。副交感神経刺激作用とヒスタミン遊離作用がある。
2、ケタミン(ketamine)
phencyclidine誘導体である。意識消失や鎮痛作用の他に、活発な大脳辺縁系の覚醒波を示すので、解離性麻酔薬(dissociative anesthetics)と呼ばれる。体表面の強い鎮痛作用を示す。脊髄後角からの上位中枢に至る痛覚伝達を抑える。2007年より麻薬指定となる。
3、プロポフォール(propofol)
他の麻酔薬と構造が全く異なる。チオペンタールに匹敵する速さで麻酔効果が得られる。呼吸抑制作用がある。肝障害作用はない。麻酔の維持導入に用いられている。GABA-A受容体に働くと考えられている。禁忌:小児(集中治療における人口呼吸中の鎮静)、妊産婦。
4、フェンタニル(fentanyl)
fentanylは麻薬性鎮痛薬で、選択的μ-オピオイド受容体アゴニストとして作用する。全静脈麻酔(TIVA)として用いられている。レミフェンタニル(remifentanil)は、作用発現までの時間が短く(約1分)、かつ消失も早く(5~10分)、超短時間作用型鎮痛薬である。こちらもTIVAに用いられるが、術後疼痛が得られないのが、フェンタニルとの違いである。
5、neuroleptanalgesia (NLA)
鎮痛薬(フェンタニル)と鎮静薬(ドロペリドール(droperidol))の併用で、意識の存在下で、周囲に無関心となり、手術可能な無痛状態をもたらす。心臓への直接作用はないが、フェンタニルは呼吸抑制作用がある。変法として、ジアゼパム(diazepam)とペンタゾシン(pentazocin)も用いられる。
C.麻酔薬の作用機序
1、Meyer-Overtonのリポイド説(1900)
麻酔薬の作用強度は、その薬物のオリーブ油への溶解度に比例する。この説は、多くの矛盾点も存在する。
2、膜蛋白説
麻酔薬が膜蛋白質の受容体やイオンチャネルに働く。最近はこの説が有力である。
1) GABA-A受容体あるいはNicotinic Ach受容体に働き、チャネルの特性を変化させる
左or上図:GABA-A受容体は、5つのサブユニット(5量体)からなり、それぞれのサブユニットは4膜貫通ドメイン(TM)からできている。エンフルラン(Enflurane)に感受性のあるアミノ酸(赤色数字)267番のアミノ酸がTM2に、288番のアミノ酸はTM3にある。(Nature, 389, 385, 1997) |
2)抑制性シナプスK+チャネル(IKAn)を活性化する (Nature Neurosci.,2, 1999)。
このK+チャネルのαサブユニットは、4つのドメインから形成されている。各ドメイン(図)は、4つのセグメントから形成され、2つのP領域(イオンフィルターとして働く)を持っている。このファミリーのTASKやTREK-1チャネルは、吸入麻酔薬のジエチルエーテル, ハロタン, イソフルランなどで活性化される。 |
3、臨界体積説(1956)
2-5%のアルコールで、オタマジャクシは麻酔にかかるが、200-300気圧により泳ぎ始める。麻酔薬により、不活性化された膜が加圧により再び活性化される。麻酔薬が膜内分子に結合し、膜の体積が一定以上増加すると麻酔がかかる。
話題
吸入麻酔薬がホスホリパーゼD2(PLD2)の脂質ラフトへの局在化を阻害し、それに続くホスファチジン酸(PA)の産生を介してTWIK関連のK+チャネル(TREK-1)を活性化することがショウジョウバエの実験で示された。クロロホルム、イソフルラン、ジエチルエーテル、キセノン、プロポフォールなどの一般的な麻酔薬は、脂質ラフトを破壊し、PLD2を活性化する。ハエの脳全体では、麻酔によってラフトが破壊され、PLDnullハエは麻酔に抵抗する。このように、疎水性分子である吸入麻酔薬は、脂質ラフトへのPLD2の局在化を阻害を介してTREK-1を強力に活性化し、意識喪失を可逆的に誘発することが示唆された。(M.A. Pavel et al, PNAS, May 28, 2020、https://doi.org/10.1073/pnas.2004259117)
悪性高熱症(malignant hyperthermia)は、全身麻酔や向精神薬により生じる。かっては致死率が70%であったが、現在では5%以下になっている。治療薬として、筋小胞体からのカルシウム遊離を抑制するダントロレン(dantrolene)が用いられる。悪性高熱症の検査は、バイオプシーで筋肉組織を取り、カフェイン-ハロタンによる収縮感受性試験で行われている。最近、米国では、リアノジン(ryanodine)受容体遺伝子の変異を調べる方法が採用されており、その検出率は25%位である。将来、悪性高熱症遺伝子群の変異による診断法の開発が待たれる。(R.S. Litman and H. Rosenberg, JAMA, 293, 2918, 2005、総説をみる)
関連サイトの紹介
1、高松赤十字病院 安全な麻酔のために
2、日本麻酔科学会 麻酔薬および麻酔関連薬使用ガイドライン 第3版 Ⅳ 吸入麻酔薬 品ガイドライン
(三木、久野、佐伯)